仮想現実から現実への華麗なる転身
2月の終わりごろに額を強打して流血するけがを負ってから、なぜか心はメタバースから現実世界に戻っていた。信じられない転び方をして、信じられない額の打ち方をして、現実に目覚めたのかもしれない。
その後病院で4針縫ってもらい、完全に傷がふさがるで一か月弱の期間を要し、血が通う身体というものや、傷が治癒する身体を感じていて、仮想空間に身を浸すどころではなくなっていた。
そんな時、以前から気になっていた「バレットジャーナル」なるノート術が気になり、なぜかファイロファックスをもう一度所有したいと思い、100周年記念バインダーを購入し、メルカリでファイロファックスのバインダーを譲ってもらい、瞬く間にバレットジャーナルが私に根付いた。
私もたくさんの手帳を試し、電子手帳やソフトウェアなどスケジューラをたくさん試し、近年は「陰山手帳」や「フランクリンプランナー」、電子媒体ではグーグルのカレンダー、Appleのカレンダー、Microsoftのカレンダーと、様々なスケジューラーや手帳を試してきたが、このバレットジャーナルなるものは
手帳のフォーマットを自分で作るというのが大きな特徴だと思う。
確かに、新年や新年度が来るたびに新しい手帳を試すのは楽しいし、メーカーの作成したリフィルを使いこなしたり、メーカーが推奨する手帳術を実践するのは面白いのだが、フォーマットはどうしても100パーセント自分向けになろうはずがなく、どこかに不満を抱えながら使ってきた。陰山手帳は15年前後使い込んだ名作だが、最近の陰山さんのメッセージは、あまり熟読する気になれない。フランクリンプランナーの紙質は立派で、自己実現のモチベーションを保ち続ける仕掛けが随所にあるのだが、システムや紙のサイズが屈強過ぎて、システムを維持するのには維持費がかかる。
バレットジャーナルも、高級感漂うノートを使用して作成することがデフォルトとなっているが、じつはどんなフォーマットの紙を使っても構わず、単純な記載ルールを参考にして、自分なりのルールを確立できるのが良い。
ここで、インスタ映えならぬ手帳バエを狙って、凝ったレイアウトを目指す方もおられるだろうが、絵や描くことが好きな方が行う分にはよいのだが、ものぐさな方がバレットジャーナルを行う際は、それこそ紙と鉛筆(文字通り)を使ったほうが良いと思った。
手帳のフォーマットは、運用していくと粗が見えてきて、ところどころ改善したくなる。そのために、例えば月間予定表を手作りするときは、1年分作るのではなく、1か月分にとどめておくのが得策だ。
また、とにかくまとめておきたい情報を、ひたすらまとめておく作業をするだけで、その情報が自分に定着しやすくなることを感じている。
本は、蔵書に加え、アマゾンで購入した電子書籍のリスト化を行ったが、購入した本が340冊以上あることが分かった。以前、高城剛氏が、iPadにスキャンした漫画本を1000冊入れているという話をYouTubeで見た記憶がある(500冊だったか?)。以前、蔵書のPDF化に凝ったこともあり、この分のカウントはこれから行うのだが、電子媒体の本に関しては、私も高城剛氏のの域に達しようとしているのかもしれない。
一方で私は、電子媒体やメタバース的なものへの拒否反応を最近感じるようになってきた。揮発性が高く、持続的に保管できるかが怪しいメディアに対しての不信感。ルール変更が行われると、一瞬にして過去の資産が使えなくなってしまう世界への恐れ。
振り返ると私は、フロッピーディスクに収納された、Lotus Office を購入した後、一生分のログをLotusのオーガナイザーなるスケジューラーに保管しようと思い立ち、たくさんのログを入れていた。そして今となっては、跡形もなくなってしまった。Lotus 123 で作成した表もしかり、Freelanceで作成したプレゼン資料もしかり・・・
いま盤石の地位を築いているMicrosoftも、Appleも、Googleでさえも、一寸先は闇と考える。なので私は、もう一度仮想現実から現実に戻り、バレットジャーナルに手書きで文字を書くことを決意したのだ。
コメント
コメントを投稿