ホームページの更新とブログの持続性について

私とインターネットとの関わり、及び情報発信の履歴を、秋の夜長に回想する。
思い起こすと、インターネットなるものを知った20世紀の終わり、Windows95という画期的なオペレーションシステムが発表された頃、渋谷のインターネットカフェで「インターネットをお待ちの〇〇さん」と呼び出され、ジュースを飲みながら、MOZAICのしょうもなく遅いブラウザーで、NASAのホームページを見ていた日を、突然思い起こした。それほど、インターネットの衝撃は強かった。
その後ダイアルアップ接続でインターネットに接続する日々を、ISDN公衆電話ボックスにこもりながら送り、おそらく田舎町だったので不審者扱いされたこともあったであろうが、モデムが発するピーヒャラピーヒャラという音を聞きながら、当時はまだIBMのものだったThinkPadとともに、私の青春は過ぎていった。
レノボに買収されたThinkPad(アマゾンのリンクへ)
その後、私の住んでいた寮にも外線が使えるようになり、愛媛新聞のダイアルアップ接続サービスに加入して、晴れて、自由にインターネットに接続できることとなった。おそらく1996年位の時期であった。そこで、HTMLの構文を覚えて、自分でもホームページを作ることとなった。当時は珍しい、毎日更新する体裁のホームページを作成して、今で言うブログのようなメッセージを毎日更新していた。ホームページは「本の部屋」というタイトルで、あなたへのメッセージと、書評、映画の評論など、ほぼ毎日の更新により、私の生活のリズムになっていた。
20世紀末のこの時代は、スマートフォンはおろか、携帯電話も一般化されておらず、もちろん、インターネットに接続できる人々も限られていた。ものすごく狭いコミュにいティーながらも、顔を見ない知り合いが出来て、リアルにあった方も数名おられた。
ホームページは、おそらく10年は継続して、私の約1年のマレーシア勤務を境に断絶した。ホームページを管理していたニフティとも契約を解消し、ホームページを保管していたPCも突然クラッシュしたため、今となっては、私のホームページは幻になってしまった。
今振り返ると、このホームページを継続していたら、その後の登場した、ブログに貼り付けた広告による収入を得て、素直な流れでユーチューブの創成期にも手を出していたであろうから、私の人生は大きく変わっていたかもしれない。とはいえ、インターネットを知った後の20年後の今となり、YouTubeの更新、数々のSNSへの投稿、Googleのブログ発信システム、Amazonのレビューなど、ネットに関わりながら、収益を得る手段を持つ準備は整った。私のセカンドライフは、これらネット等を使用することによる収益を見込もうと考えた。
もちろん、いま大変お世話になっているグーグルさんも、私が死ぬまでにつぶれてしまうかもしれないし、ネットを利用した収益システムも、なくなってしまうかもしれない。加平の信用はなくなり、物々交換の世界に戻ってしまうかもしれないし、全てがデジタル通貨となり、ビッググラザーに一括管理されるかもしれない。
先行きが見通せない、不安な時代であろうが、私はもう一度、ブログを書こうと考えた。

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