父の葬儀と棺に入れられなかった野球ボール
父が他界して7年になろうとしている。偶然、私が父を看取ることとなり、夜通し父の足を触りながら、のどが渇いたと訴えられたときに、氷を与えることを行い、耐え難い痛みを訴えた後、看護婦さんに点滴をしてもらい、未明に私が浅い睡眠を取っていた最中に、父は冷たくなっていた。
こう書くと、私がいかにも父の看病をしていたかという印象を与える可能性があるが、母が10年近く寄り添い、昼夜関わらず看病していた事実があり、私は全然足元に及ばない。私は本当に偶然、父の様子を見に帰省し、偶然、その晩居残ることを決め、偶然、父の死に寄り添っていた。
父の葬儀は、父の勤務していた会社の近くにある葬儀屋で行い、その際に、棺に父の思い出の品物を入れられることを初めて知った。と同時に、入れられる品物と、入れられないものがあることを知り、色々な葬儀の現実を目の当たりにした。
棺に入れられるものは、燃やせるものであることと、燃やす際に破裂しないものという条件があった。つまり父の好きだったナンプロの本は良くて、野球の、硬球はだめであることがわかった。硬球は、燃やす際に炉のなかで、はぜてしまうらしい。
父を収納した棺は、高性能の炉で制御された燃焼を行い、肉体や同梱品を焼き、骨を残した。おそらく係員の方は、燃焼物から金属を取り除く、あるいは、燃やす前に同梱物を取り除く作業を行っているのか。父の骨は、とても丈夫だったらしい。
ときは慌ただしく過ぎ、母親の心の傷はまだ癒やされていないが、命日の近くになる、肌寒い日々が訪れる季節になると、父のことを思い出す。
棺に入れたジャイアンツのタオルも、燃焼していたのか。
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