ブログを始めること
2006年に、インターネットのアクセスが、NTTの公衆電話でしか行えなかったときに、今で言うブログを始めた。題名は「本の部屋」で、当時としては画期的な(?)、毎日更新して、トップページに「あなたへ」という、不特定でありながらかなり読者が特定されているエッセイを書いていた。
「本の部屋」では、読書感想文、映画の感想、買ったモノの講評を主に書いていた。「本の部屋」は実質的に2014年には自然消滅して、昨年には、母体であった@niftyプロバイダかも脱会した。
インターネット関連の発表系ツールは、個人持ちホームページからブログ、ツイッターやフェイスブックなどと変遷し、今では誰でも動画を投稿することができ、テレビのような媒体となっている。私も最近、グーグルマップのレビュワー(ローカルガイド)に参加するようになり、以前とは違う次元の、自分の投稿や写真を閲覧する人々の数を見て、インターネットの膨大な規模を実感している。
ではなぜ、今となって私はブログを始めようとしたのか。また、なぜ「本の部屋」という名前をやめて、「半径3mの知的生活」と名称を変えたのか。その成り行きを記し、最初の投稿としたい。
ブログを始めたきっかけ、それはYouTubeに参戦した江頭2:50の存在に負うところが大きい。彼は芸歴30年のベテランコメディアンであり、昔から過激な芸風でテレビ界を荒らしていた。彼は、YouTubeの最初の投稿で、「99人に嫌われても1人が笑ったらそれで勝ちじゃねぇか」という名言を吐いた。これなんだ。自分のメッセージは、1パーセントの読者に響けば良いと。もしかしたら0.1パーセントかもしれないが、世界中のどこかで私のメッセージに共感する人がいれば良いなという思いで、もう一度ブログを書いてみようと考えた。
「本の部屋」というタイトルを辞めた理由は、以前と比べ読書量が激減したため。2006年には、乱読、積ん読で、ほぼ毎日読書を行い、1日に1冊の書評を書いていたと思う。当時の娯楽は、読書とテレビ、レンタルビデオ屋で借りるVHS方式のビデオ、映画館で観る映画しかなかった。インターネットは、公衆電話のISDN回線に、モデムで接続していた。それが今では、なんでもWi-Fi経由のインターネットで手に入ってしまい、読書の時間が著しく減った。amazon のKindle ももちろん持っており、amazon の日本アカウントが無かったときに、キーボード付きのKindle を輸入したことを皮切りに、電子書籍は漫画を含み500冊程度保有することとなった。しかしながら、毎日読書する習慣はなくなった。
「半径3mの知的生活」という題名を思いついた理由は、2020年現在流行している「コロナウィルス」と、自らが「知的」から遠ざかっていること、あとは思いつきである。
「半径3m」。人と人とのコミュニケーションや、現場で現物と接する際の距離感、そしてウィルス感染の距離感。生活を快適にするには、半径3mの空間を快適にすると良い。特に自分が過ごす居住空間、パソコンを使うデスクトップ、仕事場のデスクトップなど、半径3m範囲に注力すれば良い。
「知的」。溢れる情報を受動的に処理していると、「考える」ことを忘れてしまう。このことへの反省。また、自分で考え、何かを生み出していくことに対する覚悟。また、幾つになっても新しいことを「知る」ことに貪欲になり、知ることの快感を忘れない生活をしたい思い。こじつけるとこんな感じだ。
「本の部屋」では、読書感想文、映画の感想、買ったモノの講評を主に書いていた。「本の部屋」は実質的に2014年には自然消滅して、昨年には、母体であった@niftyプロバイダかも脱会した。
インターネット関連の発表系ツールは、個人持ちホームページからブログ、ツイッターやフェイスブックなどと変遷し、今では誰でも動画を投稿することができ、テレビのような媒体となっている。私も最近、グーグルマップのレビュワー(ローカルガイド)に参加するようになり、以前とは違う次元の、自分の投稿や写真を閲覧する人々の数を見て、インターネットの膨大な規模を実感している。
ではなぜ、今となって私はブログを始めようとしたのか。また、なぜ「本の部屋」という名前をやめて、「半径3mの知的生活」と名称を変えたのか。その成り行きを記し、最初の投稿としたい。
ブログを始めたきっかけ、それはYouTubeに参戦した江頭2:50の存在に負うところが大きい。彼は芸歴30年のベテランコメディアンであり、昔から過激な芸風でテレビ界を荒らしていた。彼は、YouTubeの最初の投稿で、「99人に嫌われても1人が笑ったらそれで勝ちじゃねぇか」という名言を吐いた。これなんだ。自分のメッセージは、1パーセントの読者に響けば良いと。もしかしたら0.1パーセントかもしれないが、世界中のどこかで私のメッセージに共感する人がいれば良いなという思いで、もう一度ブログを書いてみようと考えた。
「本の部屋」というタイトルを辞めた理由は、以前と比べ読書量が激減したため。2006年には、乱読、積ん読で、ほぼ毎日読書を行い、1日に1冊の書評を書いていたと思う。当時の娯楽は、読書とテレビ、レンタルビデオ屋で借りるVHS方式のビデオ、映画館で観る映画しかなかった。インターネットは、公衆電話のISDN回線に、モデムで接続していた。それが今では、なんでもWi-Fi経由のインターネットで手に入ってしまい、読書の時間が著しく減った。amazon のKindle ももちろん持っており、amazon の日本アカウントが無かったときに、キーボード付きのKindle を輸入したことを皮切りに、電子書籍は漫画を含み500冊程度保有することとなった。しかしながら、毎日読書する習慣はなくなった。
「半径3mの知的生活」という題名を思いついた理由は、2020年現在流行している「コロナウィルス」と、自らが「知的」から遠ざかっていること、あとは思いつきである。
「半径3m」。人と人とのコミュニケーションや、現場で現物と接する際の距離感、そしてウィルス感染の距離感。生活を快適にするには、半径3mの空間を快適にすると良い。特に自分が過ごす居住空間、パソコンを使うデスクトップ、仕事場のデスクトップなど、半径3m範囲に注力すれば良い。
「知的」。溢れる情報を受動的に処理していると、「考える」ことを忘れてしまう。このことへの反省。また、自分で考え、何かを生み出していくことに対する覚悟。また、幾つになっても新しいことを「知る」ことに貪欲になり、知ることの快感を忘れない生活をしたい思い。こじつけるとこんな感じだ。
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