英語を身につける事と、意思の疎通

振り返れば、私が英語と親しむきっかけを与えたのは、米軍のFENラジオ放送だった。
当時は、Far East Network という名の、米軍のラジオ放送、今ではAFNと呼ばれている放送は、福生の基地が最寄りである私の家で、いつも鳴り響いていた。
 チャーリーツナなるディスクジョッキーがよく登場したり、オキナワ、アツギ、イワクニなど、基地の所在地に関する情報、アメリカで聞かれているらしい音楽、中古車の販売など、決まった番組が流れてきて、自然と英語に馴染んでいたと思う。
就職してから、英語を母国語としない人々と、英語のコミュニケーションを行う機会が増えたときも、何となく意思疎通は出来ていて、物凄く困った記憶はない。
なので、余り、英語の資格にこだわる気持ちもなく、子どもに英語を強化させる気もない。英語はあくまで、意思の疎通手段であることに変わりはない。
こんなことから、韓国で仕事する際には韓国語を覚えたり、マレーシアではマレー語、ドイツやオーストラリアではドイツ語を少しでも覚えて喋ったこともあった。その国の人の内在論理などを探る上で、言語の習得は役になった。
そこで、最も難しい言語は、日本語であることを実感する。特に近年、日本語が喋れる人の間でコミュニケーションをとっても、意思の疎通が難しいことが多くなった気がする。日本国の中に、多様な内在論理が植え付けられてしまったかのようだ。
ここまで人々の多様性が認められ、多様なメディアが登場しいる現在は、同じ国の言語を話すだけでは、意志は通じない。
これからたくさん、多様な価値観を、言語と同じく勉強する必要がある。



コメント

人気の投稿